河南町付近の地形改変(水田)に関するコメント

河南町北村西猿田地区で発生した地すべり性崩壊(源頭部の幅約44m,流動の水平長さ約135m)は,水田を作るために,谷地形を埋めて地形改変が行われた箇所で発生しており,2003年5月26日の三陸南地震による宮城県築館町館下地区で発生した地すべり性崩壊と特徴が共通していることが,土木学会調査団の報告などで指摘されている.

なお,筆者の現地での聞き取りによれば,この水田は,昭和37(1962)年頃に作られたものであるとのことである.
このような,人工的な地形改変が行われた箇所は,土砂災害に対して潜在的な危険性を持っている地域と考えられる.特に,水田用に行われる地形改変では,水平な土地を確保する必要から,地形改変の規模が比較的大きくなるものと思われ,より注意が必要になると思われる.ここでは,河南町・鳴瀬町付近の丘陵部を対象に,このような水田用の地形改変が行われた場所を抽出することを試みた.

大正4年発行1:50000地形図「松島」,昭和37年発行同図をみると,この付近の水田は,ほぼ標高10〜20m以下の場所に存在していることがわかる.すなわち,標高20m以上の地域に存在している水田は,大規模な農業土木工事が行われるようになって以降に,何らかの地形改変を伴って形成されたものであると推測される.

1:50000地形図「松島」大正4年発行,昭和37年発行,平成15年発行を対比し,旧地形図に見られない「水田」記号のある位置をプロットしたものが右図である.なお本図は,1:50000地形図「松島」をもとに,カシミール3Dで作図したものである.昭和30年代までに発行された地形図は,土地利用に関する情報が必ずしもその時代の情報を反映していない(特に太平洋戦争後の変化)こともあるため,これらの現地形図のみに見られる「水田」が作られた時期を特定することは難しいが,ほぼ太平洋戦争前にはなかった水田と考えられる.


これらの「新しい水田」のいくつかを現地踏査した印象では,地すべり性崩壊を起こした北村・西猿田の水田とくらべ,いずれも緩い傾斜の地域に形成されているように感じられた.1:25000地形図を元に,これらの水田付近の,地形改変前の傾斜の概略を計測すると,西猿田の水田付近の傾斜は19/100程度であるのに対して,河南町北村・高寺地区の水田では4/100程度,高寺の東方(地名不詳)では13/100程度,北村・箱清水地区では7/100程度となり,この印象が裏付けられたように思われた.

なお,西猿田ほどの規模ではないが,鳴瀬町西福田・中窪地区にも,よく似た盛土地形の水田が地すべり状崩壊(源頭部の幅約39m,流動の水平長さ約41m)を起こしている箇所が見られた(右写真).この付近の地形改変前の傾斜を地形図から同様に読み取ると,21/100程度であった.

すなわち,この丘陵地帯内に,地形改変によって形成された水田はいくつかあるが,中でも,改変前の傾斜が比較的急(水平面を形成するため,埋土の深さを深くした可能性)な斜面で崩壊が生じた可能性がある.むろん,これはごくわずかなサンプルを元にしての印象であり,断言できるものではない.一つの情報として,ここに記すものである.


2003年5月26日東北地震災害 研究関係情報ページへ
制作:東北大学災害制御研究センター 牛山素行 ->Here
http://disaster-i.net/