鳴瀬町・河南町の切り土斜面に関するコメント

今回の地震の被害が大きかった,鳴瀬町・河南町の丘陵地帯を歩くと,特に斜面防護のための工事等を行っていない切土斜面が非常に多いことに気が付く.これらは,今回の地震で生じたものではなく,以前から存在していたもののようである.特に規模の大きな切り土斜面は,採土場の跡であるらしい.この付近の,特に「三ッ谷層」と呼ばれる新生代中期中新世の砂岩(地質調査所発行1:200000地質図「石巻」による)層付近で,現在でも活発な採土が行われている.
採土場の跡が,農地や宅地に転用されたように思われる箇所もあるが,個人が宅地や農地を造成・拡大させる目的で,切り土を行ったと思われる箇所(一部箇所ではヒアリングによりその事実を確認)も非常に多い.特に,この種の小規模な切り土斜面は,角度が急であることが多く感じた.

このような光景が見られるようになったのは,それほど昔のことではないようである.1960年代後半の地形図と,現在の地形図を対比し,旧地形図に存在せず,現地形図に存在する「がけ(土)」記号の位置をプロットしたのが左下図である.最近30年あまりの間に,切り土斜面が急増したことがよくわかる.個人宅裏の斜面などはこの方法ではほとんど抽出されないので,実際の切り土斜面の数はこれより遙かに多いはずである.

これらの,元からある斜面が,今回の地震で部分的に崩壊したケースが少なくない.採土場跡と思われる大規模な斜面では,数十m程度の規模で崩壊しているというケースは目にすることがなかったが,崖の上端部の一部が崩れ落ちているケースは多く目に付いた.個人宅などの小規模な切り土斜面の場合は,全層にわたって崩れ落ちているケースも見られた.



丘陵内の道路をなるべく網羅的に走行し,道路から視認することができた斜面崩壊の位置をプロットしたのが右下図である.

矢本町鹿妻付近(723〜731付近)では,切土斜面が抽出されていないが,崩壊斜面が集中している.これらは,1960年代以前からある,自然地形と思われる崖が拡大崩壊したタイプのものである.鳴瀬町小野付近も同様である.これらの崩壊は,今回生じた崩壊の中では,崩壊の幅,流下距離ともに大きい(数十m規模)ものが多い.

鳴瀬町舞台塚地区(747付近)でも斜面崩壊が集中的に見られるが,これらはほぼすべて新規の崩壊である.一方,矢本町大塩地区東部のように,切り土斜面が点在していても,崩壊が目立たない地区もあり,切り土斜面が必ずしも拡大崩壊しているわけではない.
1970年代以降に形成されたがけの分布図
1:25000地形図「広淵」(旧:昭和44年発行,新:平成15年発行),「小野」(旧:昭和40年発行,新:平成15年発行)をもとに,旧地形図に見られず,新地形図にみられる「がけ(土)」記号の位置をプロットしたもの.
道路から確認された斜面崩壊の分布図
2003年7月26日,27日,30日,8月5日,7日の現地踏査による.赤点線は走行した道路.

2003年5月26日東北地震災害 研究関係情報ページへ
制作:東北大学災害制御研究センター 牛山素行 ->Here
http://disaster-i.net/