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※このページは,筆者の既発表論文の一部を紹介する目的で公開しているものです.筆者が「雨氷」や山岳部の気象に関する研究から手を引いてすでに15年以上が経過しており,現在の筆者はこれらの分野についての最新事情について全く専門的知見を持ちません.したがって,「雨氷」に関してお問い合わせをいただきましても,現在の当方としては,当ページで公開している以上の情報を提供することはできませんし,新たに事象に関してのコメントをすることもできません.また,「代わりの専門家」を紹介することもできません.このページは一つの歴史的資料として公開を続けたいと考えておりますので,ご理解を賜れば幸いです.(2010/8/30) なお,当サイト内の関連文献として下記があります.
年報長野県地理 No.9(1991),p.18-27

雨氷現象について

牛山素行

T はじめに

 過冷却降水が地物に当たって氷となる雨氷現象は着氷現象の一種であるが、発生すると森林などに大きな被害をもたらす現象である。しかし、発生回数が少ないこともあり、調査、研究はまだ十分に行われていない。筆者はこの現象について、@発生時の状況、A森林災害の特徴、B発生地域の特徴などの観点から研究を行っている。本稿では、この現象に関する基礎的な問題を整理してみたい。

U 雨氷現象とは

1.呼称の由来
 雨氷という言葉が気象用語として使われるようになったのは、1915(大正4)年のことである。過冷却降水による着氷現象自体はこれ以前にも認識されており、「凝霜」と呼ばれていた。岡田(1918)によると、凝霜とは英国気象台で用いられていたglazed frostという語を訳したものである。しかし、凝霜という呼称は、この現象が霜と無関係にも関わらず、関連のある現象と混同しやすいなど問題があった。そこで、中国にあったこの現象を現す「雨淞」という成語が注目されたが、「淞」の字が一般的でないため、これを「氷」に変えて「雨氷」の語が生まれたということである。読みは一般に「ウヒョウ」であるが、「アメゴウリ」でも良いと岡田は言っている。ちなみに、現在気象庁で用いている雨氷の英語訳はglazeまたはclear iceである。
2.既往の研究
 大正時代には、2、3の事例報告があるが、本格的な研究として最初のものは三沢(1923a、1923b、1923c)の1923年(大正12年)1月23日の長野県で発生した事例に関するものである。この報告には、発生中の状況、発生分布、被害状況など詳細な調査結果が示されており、ことに発生地と地形の関連の指摘は興味深い。
 第2次大戦中には北大低温研によるニセコアンヌプリ山頂での着氷観測があり、雨氷も含めた着氷の物理的な分類が行われ、戦後になって小口(1951)などの論文として報告された。また、同時期の富士山頂などでの研究が今井(1953)によって報告されている。
 森林被害に関する報告としては、1936年1月25日の東大千葉演習林の被害に関する村井(1936)が最初である。戦後は、1954年2月28日の上川地方での事例を扱った井上・増田(1955)、1956年3月20日の長野県での事例を扱った武田(1957)、1969年1月29日の長野県での事例に関する大木・今井(1969)などがあるが、いずれも特定の被害地に関する限定的なもので、面的な解析事例はほとんどない。
 このように、雨氷現象に関しては、調査・研究そのものが少ない。特に、現象、被害の面的な特徴や、気象状態の特徴についてなどはほとんど調べられていない状況である。
3.着氷の分類
 水が0℃以下になっても氷結しないでいる状態を「過冷却状態」という。過冷却状態は不安定な状態であるので、凍るきっかけ(例えばその水滴の形状に変化を生じるなど)があれば速やかに氷になる。過冷却状態の水滴が地表に達し、地物に当たって氷になっていく現象が着氷現象である。
 着氷現象はその特徴によっていくつかに分類される。古くはいろいろな分類があったが(今井,1943)、現在気象庁(気象庁,1988)では、観測上の名称として第1図のように分類している。
 霧などの形で浮遊している非常に小さな過冷却水滴によってできるものが「霧氷」であり、雨あるいは霧雨の形で降ってくる比較的大きな過冷却水滴によってできるものが「雨氷」である。なお、霧などの浮遊過冷却水滴による着氷の場合でも雨氷の形をとる「雨氷型着氷」がある。本研究では、この雨氷型着氷に関しては取り扱わない。
 発生の条件は小口(1951)によれば(第2図)、雨氷は気温0〜-2℃程度の条件下で、直径10μ以上の過冷却水滴によってでき、風速とはあまり関係がないとされている。なお、通常の雨滴の大きさは500μ(0.5mm)以上であり、第2図の雨氷は浮遊過冷却水滴による雨氷型着氷である。
 着氷の密度や付着力については今井(1953)の研究によって第1表のように示されている。成長量については気温が低く、風が強いほど大きい事が指摘されている。
 なお、実際の雨氷と樹霜の写真を第9図、第10図に示した。




4.雨氷の成因
 雨氷を生じる過冷却雨滴がどのように生成されるのかについての詳しい研究はあまりない。雨滴より小さい過冷却水滴の存在はそれほど珍しいものではなく、雲を作っている「雲粒」と呼ばれる水滴はほとんどが過冷却水滴である。しかし、雨滴の大きさで過冷却状態になることは少ない。一般には第3図のように、上空に0℃以上の層があり地表付近は0℃以下という気温の逆転状態の時に、そこを雨滴が通過すると過冷却状態となって雨氷を生じると説明されている(長野地方気象台,1988など)。気温が0℃前後で逆転している事が条件であるが、定量的な事はよくわかっていない。例えば1989年2月26日に長野県で雨氷が発生した事例(第4図)では、中部地方の上空1000〜2000m(900〜800mb面に相当)付近に0℃前後で最高4℃程度のの気温逆転層が存在していたことが指摘されている(牛山・宮崎,1991)。
5.雨氷の形態
雨氷が発生すると、地表にあるものはすべて氷に包まれる。樹木であれば枝全体が氷に包まれ、枝の先端部にはつららが垂れ下がる。電線やガードレールなどの場合は、下側につららが並ぶ姿になるのが特徴である。大規模な雨氷発生では、その厚さは5cm以上にもなる。又、物体の周りに均等、あるいは下側につらら状に形成されるだけでなく、特定の方位に偏って形成される(第5図)ことがある。風向との関連が三沢(1923b)などによって指摘されている。

6.雨氷による災害
 1)森林・電線の被害 雨氷によって発生する災害の多くは、その重みによる樹木の折損、倒伏、電線の切断などである。森林の被害形態について佐藤・中村(1972)の分類を参考に、筆者が一部加筆したのが第2表である。このうち、梢折れ、軽度の湾曲、傾斜などの場合はその後回復して成長が期待できる。しかし、その他の場合は林令が若くても即伐採して利用するしかない。また、折損や湾曲の状況がひどい場合には、伐採しても利用可能な部分がほとんどない場合もある。
 同様な災害をもたらすものとして積雪があるが、雨氷による災害は積雪によるものより少ない降水量でも発生する場合がある。例えば、武田(1957)は1956年1月の積雪被害、3月の雨氷被害について調べているが、積雪による森林被害が発生した地域の降水量は100mm程度であるのに対して、雨氷による被害は50mm程度であった事を指摘している。積雪の場合は樹冠に積もっていくだけであるから、負荷のかかり方は比較的均等である。しかし、雨氷の場合は枝全体に付着していくため、樹木の枝の張り具合に偏りがあれば(例えば林縁木のような場合)負荷が特定部分に集中し、少ない降水量でも折損などを引き起こす。風による雨氷の形成の偏りがあれば、違いは更に顕著になると思われる。
 実際に1本の林木にどれくらいの雨氷が付着しているかという評価は難しいが、松島(1923)によれば、大体自重の5〜16倍の重量の雨氷が付着していると考えられる(第3表)。
 雨氷による災害の発生原因については、被害地の方位や傾斜、樹木の種類や森林の状況などとの関連が、武田(1957)や井上・増田(1955)などいくつかの研究で指摘されているが、定量的な結論はまだ出ていない。



 2)電気鉄道への災害 近年問題になってきた雨氷による災害として、電気鉄道に対する被害がある。これは、電気鉄道の架線に雨氷が付着する事によって、架線とパンタグラフが離線し、集電不能となって電車が止まるというものである。この災害は、樹木が倒れる場合よりも弱い程度の雨氷でも発生する可能性がある。最初にこの災害が問題化したのは1969年1月29日の事例(東京管区気象台,1969)であり、このときは森林被害も出たが、1977年1月26日の事例では森林被害はなかったが、列車の運行に大きな支障をきたしている。
 3)その他 幸い雨氷による災害で人命に関わるようなものは記録されていない。倒木によって民家が押しつぶされそうになり、住人が避難したという事例(三沢,1923c)がある程度である。

7.雨氷災害への対策
 自然災害の研究の最終的な目的は「防災」という事になるが、雨氷現象に関しては有効な防災対策というものは考えにくい。森林施業技術の面では武田(1957)や井上・増田(1955)によって、間伐、枝打ちの適正化や、立木密度の均整化など若干の提言がなされているが、雨氷災害だけを念頭において施業をする事は困難である。雨滴を過冷却にならないようにする技術は、おそらく降水の人工制御などの研究分野で考えられるものであろうが、筆者は知見がないのでここでは触れない。

V 過去の発生記録

1.調査の方法
 ここでは、過去の雨氷発生記録の概略をつかむために、気象要覧、気象集誌、気象庁異常気象報告等の定期刊行物や、各県の災害年表、雨氷に関する論文などを用いて、明治後期〜1989年までの約90年について調査した。これは「異常気象」あるいは「気象災害」として記録されている雨氷についての集計であり、雨氷現象の絶対的な発生数やその分布を示すものではない。なお、この調査は現在も継続中であり、本稿はその中間報告である。
2.発生頻度
 この調査からは約40事例が検索された。軽微なものを除外し、ある程度広域的に発生した事例の一覧が第4表である。はっきりした周期性があるわけではないが、被害をもたらすような雨氷現象の発生頻度は10年に1度程度といえよう。
3.発生時季
 時季的には12〜4月の冬季の現象である。中でも1月に多く、12、4月の発生はほとんどない。大規模な発生事例についてみてもやはり1月の事例が多い(第5表)。長野地方気象台(1988)によると、県内の気象官署の記録でも同様な傾向(第6表)がでている。
4.発生地域
 地域的には概ね中部以東の各地で見られる(第6図)。大規模な記録は北海道、千葉県、長野県、熊本県にある。記録が最も多いのは長野県である。この理由については今後の課題であるが、調査方法などの技術的理由とは考えにくい。
 長野県内では中部を中心とした各市町村で発生、被害の記録があり、諏訪地方とその周辺で比較的多くの記録が残っている。
5.発生時の気象
 雨氷発生時の地上気圧配置は、二つ玉低気圧1)や南岸低気圧2)が通過中の場合が多い(第7表)。二つ玉低気圧でも、南岸低気圧から生じたものが多い。規模の大きかった事例(図中「顕著事例」)についてみても同様である。太平洋岸に大雪をもたらすような気圧配置の際に発生が多いといえる。
 雨氷は過冷却水滴によってできるものであるから、雨氷を生じるときの天気はふつう雨である。記録のはっきりしてるものについて、発生前後の天気の変化を調べてみると第8表のようになる。雪が雨に変わって雨氷を生じた事例と、最初から雨である時点から雨氷を生じ始めた事例とほぼ同じくらいの数であるが、大規模な発生事例では後者の方が多くなっている。
 気温については、発生前に異常高温があるといった説(長野地方気象台,1988など)もあるが、1989年の事例(牛山・宮崎,1991)や1991年の事例(牛山,1991b)のデータから言うと、発生地点ではそのような状況は見られない。鉛直方向の分布では、地上の資料からも気温逆転の存在が確認できた事が指摘されている(牛山・宮崎,1991;牛山,1991b)。
 発生時の降水量や、風、あるいは湿度などの変化も興味が持たれるが、まだ十分な資料が蓄積されていないので、詳細は明らかにできない。
6.発生時の状況
 雨氷の発生開始時刻は、夜間である場合が多い(第9表)。大規模な発生の場合は、夕方から夜にかけて発生を開始したものが多い。低温状態の継続時間と関連があるものと思われる。なお、日中の発生開始例はほとんどないが、夜間に発生開始し日中まで成長を続けた例はいくつかある。
 実際の発生開始は注意していないとよくわからない。筆者の観察によると、最初に発生を認識するのはガードレールや金属性の看板などの下部に垂れ下がるつららによってである。樹木や草本類への付着は、特に夜間は自動車内からの観察ではほとんど確認できない。日中は少し注意していればかなり遠距離まで確認できる。雨氷に包まれた森林は、通常の雪に包まれている場合よりも青白い色彩をしており、発生していない場所や、冠雪のある場所とは容易に区別ができる。
7.発生場所と地形
 三沢(1923)もすでに指摘していたように、雨氷現象は、ある地域内で面的に発生するものではなく、斜面方位や、標高帯など地形と何らかの関係を持って発生している。例えば1989年の事例では、霧ヶ峰、蓼科山の北側斜面1000〜1500m付近でのみ被害があり(第8図)、同標高帯でも南側斜面ではまったく被害がなかった。この問題については今後解析を進めて生きたい。

X 考察

 これまでの調査から、雨氷現象については次のようなことがわかっている。
(1)雨氷現象の発生頻度は少なく、被害をもたらすような規模のものは10年に1回程度 である。
(2)実際の雨氷現象についての事例解析はまだ十分行われていない。
(3)雨氷現象は1〜3月の間に多く発生し、規模の大きいものは1月に多い。
(4)発生は南岸低気圧による場合が多く、太平洋岸で大雪の降るような時が多い。
(5)発生開始時刻は夜間がほとんどで、雨が時間と共に過冷却状態になって雨氷を生じる 事が多い。
(6)発生地域は中部以東で、長野県に発生や被害の記録が特に多く残っている。
(7)発生時には上空に0℃前後の気温逆転層がある。
(8)発生地は地形と何らかの関係がある。

Y おわりに

※状況が変わっているので略します(2003/1 html化)
 
 本研究の資料収集にあたり便宜を図っていただいた東京大学理学部の松本氏ならびに沼口氏、貴重な資料を提供していただいた長野県上田地方事務所林務課はじめ各機関の方々に感謝の意を表したい。

 本稿は本会1991年研究発表会、日本気象学会1990年春季大会、同1991年春季大会、同1991年秋季大会、1991年日本林学会中部支部大会で一部発表したものである。




1)日本列島の南の太平洋上に中心を持って移動していく低気圧。季節的には通年見られ、全国的に天気を悪くする場合が多い。春先には太平洋側に大雪(長野県下では「カミ雪」と呼ばれる)をもたらす場合がある。
2)日本海と南岸に二つの中心を持つ低気圧。大陸から移動してきた低気圧が閉塞して南岸にもう一つ低気圧を作る場合、南岸低気圧が日本海に低気圧を生じる場合、別々の低気圧が日本付近で平行に進む場合などがある。二つの低気圧間の距離が短い場合には一つの大きな低気圧として発達し、日本付近は大荒れの天気になる。


文献
井上桂、増田久夫(1955):上川盆地の雨氷被害について.林業試験場北海道支場特別報告、3、98〜102
今井一郎(1943):着氷の分類と用語について.天気と気候、10、333〜341
今井一郎(1953):着氷の研究.雪氷の研究、1、日本雪氷学会、35〜44
牛山素行・宮崎敏孝(1991):1989年2月26日長野県下に発生した雨氷現象について、日本林学会中部支部大会講演論文集.40、投稿中
牛山素行(1991a):異常気象・災害記録に見るわが国の雨氷現象.気象学会大会講演予稿集、59、256
牛山素行(1991b):1991年3月23日長野県に発生した雨氷現象.気象学会大会講演予稿集、60、126
大木政夫、今井元政(1969):森林の雨氷害調査.長野県林指業務報告、昭和43年度、28〜33
岡田武松(1918):雨氷と云ふ新語について.気象集誌、第37年第2号、73
岡田武松(1934):『氣象學上巻改稿第二版』岩波書店
小口八郎(1951):着氷の気象条件について(着氷の物理的研究).低温科学、6、103〜115
気象庁(1988):『地上気象観測法』日本気象協会
佐藤休・中村幸美(1972):雨氷害を受けたカラマツ林の回復状況.北方林業、275、14〜17
武田繁後(1957):林木の冠雪害と雨氷害、林業技術.188、9〜14
東京管区気象台(1969):東京管区異常気象報告.10(1)、7〜17
長野地方気象台、日本気象協会長野支部(1988):『信州の気候百年誌』日本気象協会長野支部
松島周一(1923):富士見及木祖ニ於ケル雨氷.森林治水気象彙報、2、88〜93
三沢勝衛(1923a):大正十二年一月二十二日二十三日の長野縣中部の雨氷に就て (第一報).気象集誌、第二輯第一巻第三号、45〜48
三沢勝衛(1923b):大正十二年一月二十二日二十三日の長野縣中部の雨氷に就て (第二報).気象集誌、第二輯第一巻第四号、61〜72
三沢勝衛(1923c):大正十二年一月二十二日二十三日の長野縣中部の雨氷に就て (第三報).気象集誌、第二輯第一巻第五号、87〜95
村井日吉(1936):千葉県演習林の雨氷被害報告.東京大学農学部演習林報告、27


静岡大学防災総合センター 教授  牛山 素行
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