disaster-i.net- 作者紹介- 災害研究- イベント等-
作者紹介- 研究業績-学術論文・著書- - 1998年8月26日〜31日に栃木・福島県で発生した豪雨災害の特徴
自然災害科学(日本自然災害学会誌)、Vol.17、No.3、pp.237〜244、1998

1998年8月26日〜31日に栃木・福島県で発生した豪雨災害の特徴

牛山素行

※以下では図表を省略しています。

1. はじめに
1.1 災害の概要
 1998年8月26日から31日にかけて、栃木・福島県境付近を中心とする東日本一帯で記録的な豪雨が発生した。日本付近では、8月25日頃から関東〜東北〜北海道付近に前線が停滞しており、南方からの湿った空気が継続的に吹き込んで活動を活発化させており、台風9804号の接近に伴いさらにその傾向が強化されたことにより、この豪雨がもたらされたものと思われる(図 1)。
 本報告では、降水量の特徴を中心に、今回の豪雨の概要について報告する。

1.2 各地の被害状況
 9月16日付の、消防庁防災課のホームページでの発表によれば、この豪雨による被害は,北海道から奈良県までの22都道府県で、死者・行方不明者22人、住家の全半壊157棟,床上・床下浸水14897棟などであった。1998年は、他にも何度かの豪雨災害が発生したが、10月末時点でこの災害は、死者・行方不明者、住家全半壊は年間で最も多く、床上・床下浸水は9月23〜25日の高知県付近の豪雨による26064棟の被害に次いで多い事例であった。
 被害の多くは、福島、栃木の2県に集中した。福島県の被害は、10月末時点の福島県のホームページでの発表によれば、死者11人、住家全半壊119棟、床上・床下浸水3760棟、農林水産関係被害額291億円、公共土木施設被害額427億円などとなっている。死者のうち5人は、西郷村の総合福祉施設「太陽の国」裏で発生した土石流による犠牲者である。残り6人中4人が土砂災害による犠牲者である。
 栃木県の被害は、10月30日現在の栃木県消防防災課の資料によれば、死者・行方不明者7人、住家全半壊89棟、床上・床下浸水2843棟、公共土木関係被害額559億円、農林関係被害額は276億円などとなっている。また、9月4日付下野新聞によれば、林務関係だけでも山崩れ283ヶ所、通行不能となった林道が94路線で205ヶ所とのことである。
 市町村別の詳しい資料は得られなかったが、家屋関係の被害に関してみると、阿武隈川上流、那珂川上流の余笹川・黒川などの流域に当たる、福島県白河市、西郷村、栃木県那須町などで被害が多かった(図 2)。被害を受けた市町村は、この3市町村を中心として、北東〜南西方向に広がっている。
 交通関係への影響も多大であった。JR各線は、東北新幹線を除いて一時東北地方のほとんどの路線が運転を見合わせた。9月1日以降は、ほとんどの路線で運転を再開したが、JR東北本線は、8月27日に黒田原−豊原間で約100mに渡って路盤が流失し、復旧に9月25日までかかった。道路も多数の地点で被害が発生し、通行規制が行われた。9月末時点でも、橋梁流失や土砂崩落などの為、栃木県内で県道8ヶ所、福島県内で県道9ヶ所が全面通行止となっている(両県のホームページでの発表による)。

1.3 既往災害との比較
 最も被害が大きかった福島県について、既往の災害事例と比較を行ったところ、今回の災害は、資料の整備されている1971年以降の28年間では人的被害、浸水家屋数、全半壊家屋数いずれも最大ではなかったものの、上位5位以内に入る事例であった。他の事例と比較すると、浸水家屋数が比較的少ないのに対して、全半壊家屋数が多いことも特徴的であった(表 1)。1961年以前の福島県における豪雨災害としては、1949年8月31日〜9月1日の事例(キティ台風)時の死者・行方不明者22名、浸水家屋505棟、1956年7月14日〜17日の事例(梅雨前線)時の死者・行方不明者35名、浸水家屋10366棟などが記録されている(福島地方気象台、1995)が、全国的に見れば、豪雨による災害を多く記録している地域ではない(牛山、1997)。
 栃木県に関しては十分な資料が得られなかったが、現在までに得られた資料の範囲内では、福島県と同様な特徴が見られている。

2. 利用資料
 利用資料は、主として気象庁のAMeDAS観測所の降水量資料(1時間毎、1978年〜1998年)である。また、白河測候所(現在は特別地域気象観測所)に関しては1951年〜1998年の日降水量資料も利用した。白河付近の各観測所の位置を図 3に示す。

3. 調査結果
3.1 降水量分布
 まず、今回の豪雨の総降水量として、8月26日から31日までの積算降水量分布を調べると、図 4のようになる。AMeDAS観測所の中でもっとも降水量が多かったのは、那須であり、総降水量は1253mmであった。那須と八方が原付近を中心として、北東〜南西方向に最も多くの降水量を記録した軸が見られる。この付近は、那須岳から西方の帝釈山脈に続く山塊と、平地(関東平野、那須野原)の境界部に当たっている。なお、那須観測所は、那須岳東側中腹部の標高749mに位置しており、那須町の中心部(町役場標高336m)とはかなり異なる位置にある。標高差から考えると、一般的には町の中心部より多めの降水量を記録しやすい観測所であると考えられる。
 AMeDASは観測期間が短いため、一般的な「平年値」は計算されていないが、これに代わるものとして、1979年〜1990年の11年間のデータを用いた「準平年値」が公表されている(気象庁、1993)。那須周辺の観測所について、今回の豪雨時の積算降水量と、8月の月降水量準平年値を比較すると表 2のようになり、今回の豪雨では、数日間で平均的な月降水量の2〜3倍程度の降水があったものと考えてよい。8月の月降水量準平年値の分布図を作成すると図 5のようになる。今回の豪雨の分布(図 4)と比較すると、降水量の中心軸が高原山→那須岳→八溝山地→阿武隈高地と続く「N」型になっているなど、分布型が似ているように思われる。今回の豪雨は、後述するように量的には極めて多量の降水を記録した事例であったが、降水量の空間分布を見ると、従来から降水量の多い場所に今回も大きな降水量が記録されているので、特に異常な場所に集中的な降水が記録された事例とは言えない。

3.2 降水量時系列変化
 那須(749m)、八方ヶ原(1087m)の、8月26日から31日の降水量時系列変化を示すと図 6のようになる。総降水量で特に大きな値を示した那須と八方ヶ原であるが、時系列変化は相違があり、那須では8月27日の0時〜12時の間に最も集中的に降っているのに対して、八方ヶ原の豪雨の中心時間はそれから12時間ほど後になっている。また、那須のほうが、八方ヶ原に比べ、より短時間に集中的に降っている。

3.3 山麓部と山間部の降水量時系列変化の比較
 那須岳の南側山麓部にあたる大田原(215m)と、西側山麓部にあたる白河(355m)の降水量時系列変化を図 7に示す。両観測所とも、1時間降水量30mm以上の時間を何回か記録しており、短時間豪雨に関しては、山間部の那須や八方ヶ原に及ぶ程度であったといえる。しかし、山間部では、このような豪雨が数時間に渡って継続していたのに対して、山麓部の両観測所では、2時間程度の継続時間であった。
 豪雨の集中時間を見ると、那須で最も集中的な雨が降っていた27日の0〜12時頃の間、大田原ではほとんど降水が記録されておらず、白河でも1時間10mm程度の降水が断続的に記録されていた程度であったことが、防災面からは注目される。このような降雨パターンの場合、人家の集中する山麓(下流)域で、上流域の豪雨を感覚的に把握しにくく、住民あるいは防災担当者の豪雨に対する危険性の予見が遅れたことが考えられる。

3.4 山麓部と山間部の降水量比率
 1978年〜1995年のAMeDAS日別降水量データを用いて、日降水量が10mm以上であった日について、山間部の那須と山麓部の白河、大田原の降水量の関係を調べた。白河の日降水量に対する那須の日降水量の比率、および大田原の日降水量に対する那須の降水量の比率を「那須降水量指数」として計算した。例えば、那須の降水量が100mm、白河が50mmだとすると、「那須降水量指数」は200%ということになる。なお、データの利用期間を1995年までとしたのは、1996年に、白河の観測所の位置が移動しており、このような相対値の検討に支障をきたすことが懸念されたためである。
 全事例についての平均値は、白河に対する指数が130.9%、大田原に対する指数が121.9%となり、全般に那須の方が降水量が多い傾向にある。度数分布で示すと図 8のようになり、両観測所とも、50〜150%の間に半数以上の事例が集中(それぞれ全体の65%、57%)している。今回の事例の各日について同様の計算を行うと白河に対する指数が109%〜231%、大田原に対する指数が67%〜361%となった。最も集中的な降雨のあった8月27日の指数は、それぞれ、227.3%、287.7%であった。

3.5 白河における既往豪雨との比較
 1951年〜1997年の47年間の白河測候所(現在・白河特別地域気象観測所)の日降水量データを用いて、この間の日降水量と、一連降水量(1日以上の無降水日を区切りとした連続降水量)の既往最大から5位までの記録を表 3に示す。今回の事例では、日降水量については8月27日に既往最大を90mmほど上回って更新しているが、28日以降は既往最大及び5位以内よりは下回っている。今回の豪雨は、降り始めから2日間が最も記録的であったと言える。一連降水量は8月27日19時に既往最大を更新し、最終的に既往最大の倍以上にあたる、656mmに達している。

4. まとめ
 今回の検討から得られた結果をまとめると以下のようになる。

(1)総降水量は、那須の1253mmを最大として、那須岳〜高原山付近の北東〜南西方向の軸を中心に多くなっている。総降水量は極めて多いが、この分布型は、8月の月平均降水量分布に似ており、今回の事例においては、特殊な場所で集中的な豪雨が記録された訳ではなく、従来から多くの雨が降りやすいところでやはり多くの雨が降った事例と言っていい。また、那須と白河、那須と大田原の降水量の比率を見ると、那須の方が多くなっており、今回もその傾向は変わっていない。これらのことから、今回の事例においては、この地域の降水量分布、あるいは山間部と山麓部の降水量の関係などに関する知見があれば、山麓部の降水状況など限られた情報からも、災害の危険性に対する予見を行える可能性があったのではないかと考えられる。
(2)降水量の時系列変化を見ると、那須では8月27日0時〜7時頃にかけて時間降水量30mm以上の豪雨が連続し、7時の時点で積算降水量528mmに達しているが、同じ頃、山麓部の白河や大田原ではさほど多くの降水が記録されていない。この時間のずれが、災害に対する危険の認識に悪影響を与えた可能性もある。
(3)白河における一連降水量の1951年以降の最大値は289mmであり、今回の事例では、8月27日19時にこれを上回っている。白河市西方の西郷村で土石流による犠牲者が出るなどの災害が発生し始めたのは8月27日明け方頃からであり、上記(2)で指摘した降水集中時間帯のずれの影響もあって今回の事例においては、白河の一連降水量を見るだけでは、防災上有効にはならなかったものと思われる。

 降水量の単位「mm」の意味が必ずしも十分に理解されていないことや、「予想される降水量○○mm」といった量的な情報だけでは、災害の危険が十分認識されないことが筆者のアンケート調査などで示唆されている(牛山、1997)。個々の地域における降水分布や、既往豪雨記録などの情報を整備し、各豪雨事例が、定常的な降水の状態や、過去の豪雨時例に比べてどのような程度になるのかなど、より多角的な情報を提供していくことが重要かと思われる。

謝辞
 白河の日降水量データの利用に当たっては、東京大学大学院理学系研究科の松本淳助教授にお世話になった。また、被害資料の利用に当たっては、福島県消防防災課、栃木県消防防災課より資料をご提供いただいた。この場を借りてお礼を申し上げる。

参考文献
1)福島地方気象台:福島の気候百年誌、福島地方気象台、1995
2)気象庁:地域気象観測(アメダス)準平年値表、気象庁観測技術資料、No.58、1993
3)牛山素行:近年の水害の特徴とその防災力向上に関する研究、信州大学農学部演習林報告、No.33、p1-74、1997

静岡大学防災総合センター 教授  牛山 素行
E-mail:->Here